海外研修記その11 〜ラサ編⑤〜

ラサ編最終回です。
ラサで見たもののうち、一番印象に残っているのはポタラではなく中国軍です。
今までもちょこちょこ書いてはきましたが、政治的な話をどこまで書こうか迷いもありました。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120317/chn12031722390003-n1.htm
でもこういうニュースを見ると書かないといけないなと思います。
ダライ・ラマ14世はチベット旅行者から「チベット人を助けるために何かできないでしょうか?」と聞かれたとき、「一番いい方法はあなたが見てきた真実をできるだけ多くの人に告げることです。そうすることによってチベットの惨状が世界に次第に認識されていくでしょう。」と答えるそうです。
とすれば、やはり書くしかないでしょう。


私は元々中国が嫌いではありません。大学・大学院の寮でのべ5人の中国人と共同生活をしたこともありますし、個々人で見ると、日本人と同じでいい人も悪い人もいます。親切にしてくれた中国人もたくさんいます。
大学時代の卒論は中国外交について書いています。内容はすっかり忘れましたが。
それでもやはり中国という国家がチベットにしていることについては批判的にならざるを得ません。

これはジョカンの屋上からバルコルを歩いている軍人を撮影したものです。
青蔵鉄道の中で、私は軍人にカメラを向けて怒られましたが、ラサでも軍人を撮影しようとすると怒られます。背後からならバレないだろうと写真を撮ろうとすると、チベット人に慌てて止められました。そのチベット人のおじさんは、たまたま近くにいただけの人ですが、血相が変わっていたのでびっくりしました。もし写真を撮ったのが軍人にばれるとどうなるかわからないので止めてくれたのでしょう。
軍人を撮影してはいけない理由、それは、こういう風に世界に知られたくないからでしょう。他に理由がわかりません。


バルコルはラサ一番の巡礼地であるジョカンを取り囲む環状バザールで、いつもチベット人でごった返している賑やかなところです。そのバルコルを軍人が5人組でぞろぞろ歩いているのをしょっちゅう目にします。写真じゃわかりにくいですが、1mくらいの銃も持っています。
のんきに店先を覗いて回っていたら、自分の真横を銃を持った軍人が通って行って、ギョッとすることも珍しくありません。
昔は2人とかで歩いていたらしいですが、2人ではチベット人に襲われたときに負けるということで、今は常に5人組で歩いています。


夜の光景は特に異様です。ラサではそこまで厳密ではないようですが、夜間外出禁止令が出ているので、21時過ぎくらいになると、バルコルの人は激減します。お店はまだ開いているところもあり、人もちらほらいるのですが、通りを歩いている人が昼間に比べると激減します。
その中で、軍人の数は増えます。あっちもこっちも大きな銃を持った軍人5人組が、ザッザッザッと歩調を合わせて歩いており、暗い夜の町で足音が響きます。
はっきり言って怖いです。私も早くホテルに戻らないと撃たれるんじゃないかと思いました。


他の地域で軍人を見たことは何度かありますが、こんなに威圧感を感じたことはありません。
カシミール地方に行ったときも軍人があちこちにいましたが、なんというかやる気がないというか、手を振ると笑顔で振り返してくれるような雰囲気で、あまり怖くありませんでした。
いざ戦いが始まれば、彼等も戦うんでしょうが、彼等は自分の国の人を守ってくれる人たちで、矛先が外に向いていました。
中国軍は矛先が中に向いています。だから、観光客である私も何かそそうをしでかすと、撃たれるんじゃないかと思ってしまうのです。実際チベットには本当に撃たれた人がたくさんいますし。


1950年、「チベット帝国主義侵略者から開放する」との名目で中国軍はチベットに侵攻してきたわけですが、中国がチベットを平和開放したのであれば、なぜ平和開放から60年たった今もこんなに軍人がたくさんいて、一触即発のような空気が漂っているのでしょうか。
青蔵鉄道ができてから、ラサには中国人観光客がたくさん押し寄せているはずですが、これを見ても中国人は何の疑問も持たないのでしょうか。


情報統制もすごいです。
ガイドさんに、「セブンイヤーズ・イン・チベット」を見たことがあるか、のんきに尋ねると、「チベットのことを扱ったものは、映画も本も見ることができない」という返事が返ってきました。
「セブンイヤーズ・イン・チベット」は、ブラッド・ピットが子供の頃のダライラマ14世と交流する映画ですが、そういえば、あの映画は中国軍が悪者として描かれていたから、チベットで見れるはずないか。
言論統制、情報弾圧、中国の批判をするとしょっぴかれる。頭ではわかっていても、わかったつもりでしかないことをリアルに感じました。
戦時中の日本もこんな感じだったんでしょうか。
ちなみに、ウィキペディアには、「セブンイヤーズ・イン・チベット」は中国では上映禁止となり、監督やブラッド・ピットは中国への立ち入りを無期限で禁止されたと書いてあります。なるほど・・・。


ネットカフェに入って、yahooやGoogleで検索しても、アクセスできないサイトの多いこと。このブログはラサでも見れましたが、きっと今は見れなくなっているでしょう。


そもそもチベットは外国人の自由旅行が認められていません。許可証を事前に入手し、予め届け出たルート通りに旅行しなければなりません。未開放地区(要は見られるとまずい所か)も多く、勝手にルートを外れて未開放地区に行ったのがばれたら中国軍に拘束されそうです。


ダライ・ラマ自伝」より。
1950年以降、チベットで実際に起こったことだそうです。著作権的にあれですが、本の趣旨的にセーフということで。


反革命的犯罪者ども」として、複数の生首の写真が新聞に出ていた。
僧院を爆撃し、抵抗運動に参加した者の妻や子供たちが残酷な拷問と処刑にさらされ、僧や尼僧が公衆の面前でお互いに独身の誓いを破棄させられ、人を殺すことを誓わされた。
1950年代に国際法曹家委員会が出した報告書には、チベット人の処刑内容として、磔、生体解剖、腹を裂き内蔵を暴き出す、手足の切断などざらであり、打ち首、あぶり殺し、撲殺、生き埋め、馬で引きずり回して殺したり、逆さ吊り、手足を縛って凍った水に投げ込み殺す、処刑の最中に「ダライ・ラマ万歳」と叫べないよう舌を引き抜く等が記載されていた。


中国はチベット人夫婦に3人以上の子供を生まないよう強制している。制限を守らなかった者はむりやり堕胎させされ、避妊器具を強制的につけられる。
圧制に対抗して立ち上がると、村ごと破壊し尽され住民は虐殺され、何万人も投獄され、強制労働、自己批判を強いられる。
過去30年にわたる大量殺戮によって、125万人のチベット人が飢餓、処刑、拷問、自殺などで死に、数万人が強制収容所に閉じ込められている。


チベットにいる中国軍を見ていると、「ダライ・ラマ自伝」に書いてあることは本当なんだなあと思えます。
こういう事実は、ネット上で検索するとたくさん出てきます。
ダライ・ラマ14世がインドに亡命して以降、亡命者の数も13万4000人となっており、年々増加しているそうです。亡命者が現在も増加している事実が、平和解放とは程遠い現実が実態であることを示しています。
インドに亡命した人が一番多いのですが、命からがら亡命しても、インドの気候に慣れず、日射病、結核、疫病による死者が続出したそうで、何とも酷い話です。


中国はチベットの文化を破壊して、中国化させようと必死のようですが、漢民族以外の民族を同類の民族とは思っていないですよね。
反抗する者は弾圧すればよいという考え方は植民地そのものです。
中国はチベットウイグルで核実験もやっていますが、漢民族が主に住んでいる地域ではしませんしね。


タルチョ。
峠や寺院などで飾られているチベットの祈祷旗です。青・白・赤・緑・黄の順で、それぞれが天・風・火・水・地を表すそうです。
チベタンが心から笑って暮らせる日が来るように祈ります。