海外研修記その9 〜ラサ編③〜

<デプン・ゴンパ>

1416年に建てられたチベット最大規模を誇るお寺です。ゴンパは寺という意味です。

チベット仏教には宗派がいくつかあるのですが、最大派閥はツォンカパを宗祖とするゲルク派黄帽派)で、ダライ・ラマもパンツェン・ラマもゲルク派です。
この壁画はツォンカパとその弟子だそうです。
チベット法然親鸞というところでしょうか。

デブン・ゴンパでは、最盛期には1万人の学僧が学んでいたそうです。寺院内部のガンデン宮殿には、ダライ・ラマ5世がポタラ宮殿を建築するまで歴代ダライ・ラマが居住していました。現在は500人の学僧が学んでいます。
お寺に行くとガイドさんからよく聞く単語。1959年、destroy、upset。これらの言葉をガイドさんがいまいましげに話すのが、普段の陽気で優しいガイドさんと対照的でした。私の英語力でどの程度正確に理解できたのかは怪しいですが、チベタンはガイドという仕事を通して、外国人にチベットで行われたことを少しでも伝えようとしているのかもしれません。
チベットのお寺はチベット侵攻文化大革命で破壊され、たくさんのお坊さんも犠牲になりました。『ダライ・ラマ自伝』には、1950年代以降本が書かれた2000年頃までの中国人によるチベタンに対する信じがたい迫害の様子が書かれています。
現在、チベットのどこのお寺に行っても軍人がたくさんいて、五星紅旗がはためいています。チベタンはどういう心境なのでしょうか。


<セラ・ゴンパ>

1419年に建てられたゲルク派のお寺。河口慧海や多田等観が修行したことで知られています

ここでは僧侶たちが問答修行している様子を見学できます。ノースリーブで寒くないのでしょうか。修行すれば寒さも吹っ飛ぶのでしょうか。
この修行は、1人が立って、座っている1人または2人に向かって、大きな声で手をたたいたりしながら、質問をし、座っている人がそれに答えるという修行だそうです。
独特の言い回しで韻を踏んで、きっと高尚な問答をしているのだと思いますが、言葉がわからない私には、大声出して威嚇したりしながらケンカをふっかけているように見えてしまいます。
ガイドさんは、笑いながら「おもしろい」と言って見ていました。チベット流コントなのでしょうか?

問答修行中のお坊さんです。タバコが先生に見つかって開き直る高校生ではありません。

海外研修記その8 〜ラサ編②〜

<ノルブリンカ>

歴代ダライ・ラマの夏の離宮です。大きな公園のようになっています。

ダライ・ラマ14世が夏を過ごしていた宮殿です。1959年3月17日、ダライ・ラマ14世はこの宮殿を出発し、インドへ亡命しました。宮殿の中に展示されている時計は、ダライ・ラマ14世が宮殿を出た当時の時間をさしたまま止まっているそうです。
玉座はものすごく立派でしたが、ベッド、風呂、トイレなどは特に豪華なものではなく、意外と普通でした。
ネール首相から贈られたラジオ等、当時の電化製品もあり、宮殿全体の時が止まっているようでした。


<ジョカン(大昭寺)>

ラサの中心にある最も聖なる寺院。ラサに来る巡礼者の目的地です。
7世紀前半、チベット吐蕃)を統一したソンツェンガンポ(世界史選択者には懐かしい名前ですよね)は、ネパール王女のティツィン王妃と唐の太宗の皇女文成公主を妃としました。チベットが強かった時代の政略結婚ですね。
この2王妃は共に仏教徒で、彼女たちの勧めにより、ソンツェンガンポは仏教に帰依しました。チベット仏教の始まりです。
ジョカンは、ソンツェンガンポの死後、王を弔うために、文成公主が場所を選定し、ティツィン王妃が建立したと言われています。歴史のあるお寺です。
ジョカンの本尊は文成公主長安から持参した釈迦牟尼像です。昔はラモツェ(小昭寺)というお寺に文成公主が持参した釈迦牟尼が祀られていたようですが、現在は文成公主が持参した釈迦牟尼はジョカンにあり、ラモツェにはティツィン王妃が持参した釈迦牟尼が祀られています。
このあたりは政治的なかけひきでもあったのか、謎です。

中はこんな感じです。新年には中庭で大祈祷祭が行われていたそうですが、文化大革命中に中止され、1985年に復活したものの、1990年以降再び中止されました。

ジョカンの正門前は、いつも五体投地でお祈りをしている人がたくさんいます。
五体投地は最も丁寧な礼拝方法で、五体投地をしながらジョカンの周りをコルラ(聖地や仏像、仏塔の周りを時計回りに巡ること)している人も結構見かけました。
五体投地用の座布団のようなもの、手袋等、五体投地セットを持参している人が多いです。直接地面に体を投げ出すのはやっぱり痛いし、服も汚れるし。なんて考えちゃいけないのかもしれませんが。
ジョカンの建物の上から五体投地でお祈りしている人たちを見ていると、自分が拝まれているような気分になり、落ち着きません。

ジョカンの上からはポタラも見えました。

海外研修記その7 〜ラサ編①〜

ようやくラサ編になりました。ラサとはチベット語で「神の土地」とか「聖地」という意味です。

ラサの一番の名所、ポタラ宮チベットの象徴です。1994年に世界文化遺産に登録されています。
チベットの政治的宗教的指導者である歴代ダライ・ラマが住んでいた宮殿で、チベットの聖俗両面の中心地です。とにかく大きさに圧倒されます。
ポタラは「観音菩薩が住まう地」という意味で、ダライ・ラマ観音菩薩の化身です。
主不在の現在、博物館のようになっています。

一瞬目を疑いましたが、見間違いではありません。チベットのシンボルの上に五星紅旗がはためいていました。中国人がやりそうなことだなあ。
新疆ウイグル自治区カシュガルに行った時に、町の中心部にある大きな公園(人民広場)に巨大な毛沢東像があったのを思い出しました。分離独立はさせないぞという意思の現れか、中華思想か。
まあ、地元民の反感を買うことは必至でしょう。


ポタラの入場料はチベット人1元、他民族・外国人は100元(1300円くらい)です。夏の観光シーズンはものすごく混み、見学時間を1時間に限定されることもあるそうです。入場人数が制限されているので、前日に入場券の引換券をもらうために並ばないといけないとか。
冬なので観光客は少なく、農閑期のチベット人の巡礼者が多かったです。仏像の周辺などは混んでいましたが、わりとゆっくり見学できました。
ポタラは13階、1000部屋くらいあるそうで、とにかく大きくて広いです。公開されている部屋はごく一部ですが、それを見て回るだけでも見応えがありました。

ただ、標高3600mでこの階段は息が切れます・・・。チベットの子供たちは元気に走り回っていましたが・・・。

ポタラ宮白宮。ポタラは白宮(政治部門)と紅宮(宗教部門)とに分かれています。
建物の中は写真撮影禁止(正確には1枚50元とか払えば撮れます)なので、写真はなし。建物の内部は赤と黄を基調とした色鮮やかな装飾がされています。
白宮でダライ・ラマの寝室等のプライベート空間、謁見の間などを見て、紅宮へ。
紅宮は立派な仏像や壁画がたくさんありました。チベットのどこの寺に行っても同じですが、たちこめるバターランプの匂いがすごい。仏像の周りにはヤクバターを使ったランプがあるのですが、チベット人参拝客が次々にヤクバターを足していくので、バターが溢れんばかりです。ヤクバターを奉納して火を灯し続けるのです。
歴代ダライ・ラマの霊廟には、歴代ダライラマのミイラが安置されています。トルコ石で鮮やかに装飾された巨大な黄金の柩がいくつもありました。繁栄していたことが伺われます。

ポタラから見たラサ市内。結構都会です。

ポタラの周りにはマニ車がずらり。マニ車は側面にマントラ真言)が刻まれており、内部にはロール状のお経が入っています。1回回すと1回お経を唱えた効果があるので(楽でいいな)、みんなぐるぐる回しながら歩いています。

夜はライトアップされます。幻想的ですね。
ポタラの前は、以前は家が立ち並んでいたそうですが、今は取り壊されて大きな公園になっています。

「西藏和平開放記念碑」。公園内で発見。2001年10月1日、チベット侵攻50周年を記念して作られたようです。「チベット侵攻」は、中国では「チベット和平開放」と呼ばれているそうです。
10月1日かあ。国慶節だなあ(国慶節は中国の祭日で、毛沢東中華人民共和国の成立を宣言した日です)。
記念碑の前にある3人の像は、花や楽器を持って喜ぶチベット人たちの像のようです。えげつない。
この記念碑の前で軍人が警備しているのがなんとも言えませんでした。

海外研修記その6 〜青蔵鉄道編③〜

中国の特急には軟臥(一等寝台)、硬臥(二等寝台)、軟座、硬座とあります。
11年前に来たときは硬座で中国を横断してしまいましたが、今回は硬臥にしました。軟臥は分不相応です。丸2日近く乗りっぱなしなので、横になれるのはやはり楽です。

硬臥は三段ベッドのようなものが向かい合っていて、6人一部屋のようになってます(軟臥は二段ベット、4人部屋で入口にドアがあります)。
私は下段。下段が一番揺れなくて一番値段が高いですが、昼間は椅子代わりに使われます。
夜中に目が覚めると、窓から星が見えました。寝っ転がったまま、満天の星をぼーっと眺めました。これも下段ならではの贅沢です。

通路はこんな感じ。ベッドにいるか通路のイスにすわっているかしか居場所がないし、下段以外の人は、自分のベッドから景色が見にくいので、通路のイスは結構いつも満席で、イス取りゲームのようになっていました。


だいたいずっと4000m以上の高所を走るため、高山病でぐったりしている人もたくさんいました。私が乗った車両は、チベット人率が高かったせいだと思いますが、高山病に強い人が多かったようで、通路のイスが満席でしたが、みんなベッドで寝ていて、通路に人がほとんどいない車両もありました。

ベッドの脇には酸素吸入口がついています。時々お姉さんがストローを配りに来るので、それをもらって酸素を吸っている人もいました。どれくらい楽になるのかはあまりわかりませんでしたが。
私は以前高山病で大変しんどい思いをしたことがあるので、高山病は心配していましたが、電車に乗っているだけだったからか、全然普通で拍子抜けしました。


車内販売のお姉さん。食事時にはご飯を、それ以外もお菓子や果物などを売りに来ます。

朝食。おかゆと饅頭(まんとう。肉まんの皮だけのやつです。具が入っているのは包子(パオズ)と呼びます)。

昼食。お弁当風。車内販売だと夜もこんな感じです。

夕食。食堂車に行ってみました。
中国での食事の注文は、メニューの漢字を見て感性で注文するのですが、想像と違うおかずが来てがっかりすることも・・・(1品は青椒肉絲で固く注文してます)。
食堂車には中国軍人がたくさんいて、お酒を飲んで盛り上がっていましたが、軍人を写真撮影すると大変怒られるので、カメラを向けてはいけません(実は向けた)。


和光でのクラス会のときに、「チベットに行く」と言ったら、某修習生から「チベットに行くなら『ダライラマ自伝』を読まないと」と言われ、出発直前に『ダライラマ自伝』を買って旅行中読んでいました。
車内で読んでいると、チベット人が何人も「ちょっと見せてくれ」と言ってきました。本を渡すと、表紙のダライラマ14世の写真を額に当てて、お祈りを始めます。本の中の写真もみんなでじっくり見ていました。
でも、「電車を降りたら、その本は隠した方がいい」と何人もから言われました。
チベットでは、1959年にインドに亡命したダライラマ14世の写真を持つことは禁止されています(電車の中で知った)。下手に見つかって軍人と揉めるのは避けたい。「司法修習生チベットで拘束」なんて新聞に載るのは嫌だ。


鉄道には様々な国・地域の人が乗っています。
漢人の学生、チベット人のお坊さん、日本人の私たちと片言英語と筆談で話をしていたとき、私が中国人(チャイニーズ)、チベット人チベタン)と言い分けて、それぞれに文化の違いなどを聞いていたら、漢人の学生から"They are Chinese."と不思議そうな顔をして言われて、ハッとしました。
20代の学生の彼は、チベットが中国であることに何の疑問も持っていない。そういう教育を受けてきたんでしょう。チベタンは微妙な表情をしていましたが、何も言いませんでした。何も言えないんでしょう。
漢人の学生が悪いわけじゃないけど、学校で教える歴史教育って怖いなあと改めて思いました。日本人は彼にはどのように映るのでしょう。

ダライラマ自伝』より評判が良かったのは、チベットのガイドブック2冊。チベットの写真がたくさん載っているので、日本語がわからなくても、写真は楽しめます。本当に飽きずに何時間も食い入るように見ていました…。
何がおもしろいのかわからなかったけど、チベットの農民の写真を見て、えらくウケていました。友達が載ってたのか?

海外研修記その5 〜青蔵鉄道編②〜


朝起きたら、別世界が広がっていました。ひたすら草原と山の風景が続きます。
♪線路は続く〜よ〜 どこまでも〜
左の方に少し写っているのが、川にかかる鉄橋です。
冬なので枯れ草ですが、夏は一面の緑に覆われ、春は花が咲き乱れます。季節を変えてまた行ってみたいです。でも冬は乾季なので天気が安定していますが、春・夏は晴れると最高だけど、雨のリスクがあるんですよね。
標高5072mの最高所はいつ通ったのかわかりませんでした。

ツォナ湖。端っこは少し凍っています。

空が蒼いから湖が蒼いのか。湖が蒼いから空が蒼いのか。

冬でも羊が放牧されています。

ヤクもいっぱい。

標高4513mの空の蒼さ。

万年雪をかぶった山と少し凍っている川。川の周りに集まる動物。

町も見えます。当たり前っちゃ当たり前ですが、人もちゃんと住んでるんですよね。

ラサ駅到着。大きくて立派な駅でした。

海外研修記その4 〜青蔵鉄道編①〜


成都発ラサ行き特快。この電車に乗りたかった。
日本の旅行会社が企画しているパックツアーは西寧発ラサ行きがほとんどだが、私は成都の旅行会社で申し込んだので、成都発ラサ行き。44時間乗りっ放しである。2日に1本しか出ていないので、乗り遅れるとえらいことになる。
成都の旅行会社にしたのは、西寧発の切符は世界中の旅行会社が抑えに来るので、個人では取りにくいと言われたのと、成都の会社は日本人が経営している会社でホームページが日本語だったから。でも、ツアー申し込みのメールのやり取りはすべて中国人と英語でしなければならず、二回試験直前に頭を悩ませた。


私は旅行前に手配したりするのは面倒なので、現地で適当に手配するのを基本としているが、チベットは2008年の暴動後、外国人の自由旅行が禁止されており、ガイドをつけて予め旅行日程を決めて申請して入境許可証を取らなければ旅行ができない。これらの手続を中国に来てからやると数日かかるので、旅行の日程が決まっている人は、日本で予め申し込んでおく必要があるのである。
さらに、チベットの観光地を回ろうとすると、バスでは回りにくいので、ランクルと運転手をチャーターすることになる。
ガイド、ランクル、運転手を手配しないといけないので、1人でチベットを旅行すると非常に高くつく。ランクルの座席は余っているのだから、人を集めれば集めるほど安くなる。
チベットに行くバックパッカーは、行き先を書いて旅行会社の掲示板に張り、同行者を募ってできるだけ安く行こうとするのである。
でも冬のチベットを旅行する人は少ないので、同じ行程で旅行する人は見つからないだろうと諦めていたが、日本を出る2日前、「よかったら一緒に旅行させてください」というメールが来て、3人で旅することになった。
一緒に旅したのは、仕事を辞めて2年くらいの予定で世界一周しているという日本人カップル。全く時間に追われていない感がちょっとうらやましかった。

車窓。

成都・西寧間で見える風景は中国の街並みや田畑がほとんどで、西寧から青蔵鉄道らしい風景になります。

西寧を過ぎたところにある青海湖。夕暮れから日没の間、眺められました。

海外研修記その3 〜成都編②〜


中腹のお寺。中国のお寺は赤をよく使っているイメージだったけど、ここは黄色。インドやイスラムの影響も受けていそうな色使いと建物。

仏像もインドっぽい。お釈迦様はインド出身だから象に乗っているということなのか。
タイは涅槃像が多いし、ところ変われば仏像もいろいろ変わるんだろう。

お、いい飲みっぷりだねえ。
サルもたくさんいました。

なんとなくわかるけどさ。誰か日本語を教えてやれよ。


一番の見所、3077mにある山頂の寺はバスとロープウェーに乗っていきます。
仏教の聖地というと渋い落ち着いた感じを予想していましたが、山頂の寺も金ぴか!派手!さすが中国。

金頂(華厳寺)。
山頂からの景色は絶景とのことでしたが、ガスガスで何も見えず…。山頂に泊まってご来光を見ると感動的らしいですけどね。
まあ、山頂に着いた頃はこの寺すら雲の中だったので、雲が切れて青空が出たことだけでよしとします。


普賢菩薩像。象もいっぱいです。

ロープウェーが結構高かったので、下りは歩いてみると、結構な雪道で滑りまくりました。

こんな階段がずっと続きました。凍ってるよ。軽アイゼンがほしい。
上りのロープウェーに乗っている時間は5〜10分くらいだったので、たいしたことないと思っていたら、結構長く、予想よりずっと時間がかかり、ロープウェーに乗らなかったことを激しく後悔することになりました。


旅行会社から19時に成都のホテルに来るように言われていたので、急いでバスで帰ったところ、渋滞に巻き込まれました。ロープウェーに乗っていればもう1時間早いバスに乗れたのに…。
成都のバスターミナルに着いたのが19時。ホテルまでタクシーで30分近くかかる。慌ててタクシーを探すけど捕まらない。道を走っているタクシーにはみんな人が乗っている。
どんどん時間が過ぎて行き、焦りまくる。「タクシー!」と必死で叫びながらうろうろしていたら、親切な中国人が一緒にタクシーを探してくれました。でも捕まらない。
結局通りがかりの原付のおじさんが「後ろに乗ってけ」と言うので、19時40分、背に腹は変えられず、原付に乗せてもらいました。
原付、ちゃりんこに抜かれるんじゃないかと思うくらいの勢いである。びっくりするくらい遅い!
「遅い!」と言ったら、「ドゥイドゥイ(対対=そうそう)!」
何がドゥイドゥイやねん。本当に大丈夫なのか不安に思っていると20時ホテル着。裏道通ったせいか意外と早い。助かったー。そして20元取られたー(タクシー代と同じくらい)。中国人はこういう即席の白タクみたいなことを普通にやっています。
20時58分成都駅発の電車には何とか間に合いましたが、もう少しで日本で申し込んでいたツアーに参加できなくなるところでした…。